名古屋高等裁判所 昭和40年(ネ)369号 判決 1969年3月25日
控訴人 中切幸太郎 外二名
被控訴人 白川村
主文
一、原判決中控訴人等に関する部分を取り消す。
二、被控訴人は控訴人中切幸太郎に対し金二二〇万円及びこれに対する昭和三四年二月一五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三、被控訴人は控訴人和田兼一に対し金一五万八、九〇〇円及びこれに対する昭和三四年二月一五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
四、被控訴人は控訴人東洋ゴム北陸販売株式会社に対し金六〇万円及びこれに対する昭和三三年八月二六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
五、控訴人等のその余の請求を棄却する。
六、訴訟費用は、第一、二審を通じ三分し、その一を被控訴人その余を控訴人等の負担とする。
七、この判決は、二ないし四に限り仮に執行することができる。
事実
一、控訴人等の代理人の求める判決
(一) 原判決中控訴人等に関する部分を取り消す。
(二) 本位的請求として、被控訴人白川村は、控訴人中切幸太郎に対し金二四五万一、〇〇〇円及びこれに対する昭和三四年二月一五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を、控訴人和田兼一に対し金三二六万三、九〇〇円及びこれに対する同日より完済に至るまで年五分の割合による金員を、控訴人東洋ゴム北陸販売株式会社(以下控訴人東洋ゴムと略称する)に対し金八九万四、四八〇円及びこれに対する昭和三三年八月二六日より完済に至るまで年五分の割合による金員を、各支払え。
(三) 予備的請求として、右(二)と同旨
(四) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
並びに仮執行の宣言
二、被控訴人の代理人の求める判決
(一) 本件各控訴を棄却する。
(二) 控訴人東洋ゴムの本位的請求を棄却する。
(三) 控訴費用は控訴人等の負担とする。
三、控訴人等の代理人の陳述
(一) 本位的請求原因
(1) 昭和三三年一月一七日午前五時当時、岐阜県大野郡白川村字牧において、控訴人中切は別紙第一目録<省略>記載の建物を、控訴人和田は別紙第二目録<省略>の一記載の建物及び動産を、控訴人東洋ゴムは別紙第三目録<省略>記載の建物及び動産を、それぞれ所有していた。
(2) ところが、前記時刻頃岐阜県大野郡白川村字牧の旅館「河辺」方建物(別紙図面Aの部分に存在した、以下符号で表わすものはすべて別紙図中のもの)から火災が発生し、間もなく株式会社間組(以下単に間組という)のガソリンポンプ数台が火災現場に出動し、同所を南北に通ずる二級国道から直ちに消火にとりかかり、次いで消防自動車が出動したのをはじめ、被控訴人の消防団長小坂林松は同消防団を指揮し消防活動につとめた。右小坂は、発火点A建物より北方に延びた火(火は北方だけでなくA建物の周囲全体に延びていつた)がB建物に移つた際、B建物の北側にあつたル建物を間組所有の重量六〇トンのM型ブルトーザー二台をもつて完全に破壊したのを手始めにイ、ロ、ハ、ニ、ホ、へ、ト、チ、リ、ヌの各建物を右の順序で屋内物件搬出のいとまも与えず忽ちにして約五、六分間で損壊した。
(3) 右損壊当時における火勢、気象の状況その他周囲の事情は次のとおりであつた。
(イ) 火勢の状況は、A建物の周囲に拡大し、北方においては一時はB建物まで延びたが、その頃に至り火勢は衰えた上方向を転じて発火点A建物の北西ないし西方に延焼していき、B建物よりその北隣のル建物に火が移る頃から北方に延びる火勢は甚しく衰えていた。
(ロ) 当時の白川村字牧地域の気象の状況は、気温氷点下三度ないし同六・二度、降雪量六八糎(但し積雪は約五五糎)、風向南風速一米であつた。当時の全国の気圧状況は大陸高気圧が蒙古にあつて東に張り出し、優勢な低気圧が北海道上を北東進しており、西高東低の顕著な冬型気圧配置となつていて、本邦全般に北西の季節風が卓絶していた。従つて、白川村字牧地域の風向は、本邦全般の冬型の気象慨況からは独立した反対の極地現象で、その勢力は弱く風力が火勢を左右するに足りない程度の微風であつた。
(ハ) 前記のとおり、火災当夜は雪が降つており、屋上にも五五糎以上の積雪があつたから、飛火による火災を防ぎ、その上、F地点とD地点とを結ぶ線上には高さ三米ないし七米の杉木立群があつて自然防火の役目を果していた。又前記建物破壊当時には、B建物附近に消防自動車一台、E地点附近にガソリンポンプ二台がいずれも消防活動に従事し、イないしルの各建物は国道沿いに一列に立ち並んでいて、仮に右各建物に延焼しても消火が容易な事情にあつた。
(4) 右火勢、気象の状況その他周囲の事情に基づいて判断すれば、火がB建物に移つた際、ル建物の破壊に引き続いてト、チ、リの各建物を破壊したならば、B建物とヌ建物との間に二五ないし三〇米の空地ができてヌ建物及びその北にあるイ、ロ、ハ、ニの各建物に延焼する虞は全くなくなるのである。従つて、右ヌ、イ、ロ、ハ、ニの各建物は消防法第二九条第二項にいう延焼の虞ある消防対象物でなかつたこと明らかである。ところが、小坂は、周章ろうばいの余り火災当時の風速は二〇米(南風)あると考え又B建物からイ建物までの距離が約六〇米あるのに二〇米しかないと判断し消防活動上最も重要な火と防火対象物との距離及び風速に関する判断を甚しく誤り、その上消防法上許されないブルトーザという消防器具を使用して無暴にも前記のようにイ、ロ、ハ、ニ、ヌの各建物を破壊したのである。即ち、小坂は、消防団長として法律上当然要請される正当な判断を誤り、破壊消防行為をなす必要性がないにもかかわらず不注意にもその必要性があるものと誤信した過失に基づき、イ、ロ、ハ、ニ、ヌの各建物を消防法上許されないブルトーザを使用して破壊したもので、右破壊行為は消防法第二九条に定める範囲を逸脱した違法行為である。
(5) 右破壊行為により、控訴人中切は別紙第一目録記載の建物(ヌ建物)を滅失されその価格金二四五万一、〇〇〇円の損害を蒙り、控訴人和田は別紙第二目録の一記載の建物(ロ建物)及び動産(ロ建物内に存在したもの)を滅失されその価格金三二六万三、九〇〇円の損害を蒙り、控訴人東洋ゴムは別紙第三目録記載の建物(ニ建物)及び動産(ニ建物内に存在したもの)を滅失されその価格金八九万四、四八〇円の損害を蒙つた。
(6) 控訴人等の右各損害は、被控訴人の公権力の行使に当る公務員である小坂が、その職務を行うについて過失によつて違法に控訴人等に加えたものであるから、被控訴人は国家賠償法第一条に基づき控訴人等に対しこれを賠償すべき責任がある。よつて、控訴人等は、本位的請求として被控訴人に対し前記(控訴人等の代理人の求める判決の項の(二))金員の支払を求める。
(二) 予備的請求原因
(1) 仮に、右小坂の破壊行為が違法行為でないとするならば、被控訴人は、控訴人等に対し消防法第二九条第三項第四項によつて前記控訴人等の損失を補償すべき責を負うものである。即ち、前記によれば、小坂は延焼防止のために緊急の必要があるものとしてロ、ニ、ヌの各建物(その内にあつた動産も含む)を破壊したものであるところ、右各建物は、消防法第二九条第二項所定の要件を充足するような延焼の虞ある消防対象物に該らず、もとより同条第一項にいう「それ自体火災が発生し又は発生しようとしていた消防対象物」に該らないからである。
(2) よつて、控訴人等は、予備的請求として被控訴人に対し前記(控訴人等の代理人の求める判決の項の(三))金員の支払を求める。
(三) 当審において、控訴人中切は前記の限度に請求を減縮し、又控訴人東洋ゴムは前記のように請求を変更(従前の請求を減縮した上予備的請求とし、新たに主位的請求を追加)するものである。
(四) 被控訴人の抗弁に対する控訴人和田の答弁
控訴人和田が被控訴人主張のとおり損害保険金を受領した事実は認めるが、その受領金額については争う。
四、被控訴人の代理人の陳述
(一) 控訴人等が本位的請求の原因として主張する事実の内、その主張の日時場所において火災が発生したこと、被控訴人の消防団長小坂林松が消防団を指揮して右火災の消防につとめ、その際控訴人等主張の各建物に対して破壊消防活動をなし、右各建物を破壊したこと(但し、ト建物は延焼により焼失したものである)は認める。控訴人等がそれぞれ控訴人等主張の建物及び動産を所有していたこと及びその価格についてはいずれも知らない。その余の事実を否認する。
(二) 本件破壊消防行為は、延焼の虞がある建物に対して延焼を防止するためやむを得ずしたものであつて、消防法第二九条第二項に基づく正当な行為である。即ち
(1) 発火直後別紙図面表示の畑田方、同郡上屋方に延焼し、更に当時発火点A建物の西或は西南西にあたるI方向に吹いていた風のために、右畑田方よりI方向の家屋に順次延焼し、その部分の建物が焼失したため、右焼失地区の空間が風道となり、強い熱風が未だ延焼せず、冷却していたG方向(東或は東北方向)に強く流れてG方向の道路添いに存在する家々に押し寄せ寸時の間に別紙図面表示の高橋富三、田村悟、武田志な等の家屋を焼き尽し、遂にB建物(料亭昇月)に延焼するに至つた。その頃から風速は一段と増加し火勢は益々拡大して一時に大火災となつて県道添いの家屋を焼き尽す勢であり、特に右B建物は附近では最も大きな建物であつたため、その全体に火が廻れば附近家屋の延焼は免れないものであつた。しかも、B建物と隣接するG方向には、本造バラツク式家屋が密集して建ち並んでいたので、前記風向、火勢からしてこれらの建物がまたたく間に延焼する虞が充分あつた。更に、それ以北は白川村の主要中心地で、劇場、銀行、商店、住家が接続して街を形成し、その街並の内にガソリンスタンドが二箇所あつたから、B建物よりG方向への延焼は極力防止する必要があつた。右のような風向、風速、火勢、街の地勢のもとで被控訴人の消防団は消火活動にあたつたが、降雪のためその行動困難を極め、又冬期で水利の便も悪い上に少数の消防手と消防器具ではその全部の火災を消火することは到底困難であつた。そこで、小坂は、B建物が延焼するに至つた際これに隣接し延焼の虞ある建物を破壊することによつて延焼を防止する外ないと判断し、本件破壊消防行為をしたのである。
(2) その破壊の順序は、ル、イ、ロ、ハ、ニ、ヌ、リ、チ、ト、ホ、ヘの各建物の順序である。最初ル建物を破壊したが直ちに隣家のB建物の火が移つて焼失したので、破壊消防線の最北端を当時空屋であつたイ建物と定め、他の各建物の住居者に立退時間を与え、順次延焼中の家屋の方向に向つて破壊していつたのである。なお、ヘ、ホの各建物は延焼し倒壊する状況にあつたので、消防手及び附近の住民が危険を防ぐため破壊したのであり、ト建物も破壊しかける以前に延焼していた。
(3) 以上のとおり、本件破壊消防行為は、延焼の虞がある建物に対し延焼を防止するためやむを得ずしたものであつて、消防法第二九条第二項に基づく正当な行為である。従つて、本件破壊消防行為を違法なものとして国家賠償法第一条に基づき被控訴人に対し損害賠償を求める控訴人等の本位的請求は失当である。
(三) 控訴人等は、小坂が風速及びB建物からイ建物までの距離の判断を誤り、右誤つた判断に基づいて本件破壊行為をしたのであるから、同行為は小坂の過失に基づく行為であると主張するが、右主張は次のとおり理由のないものである。
(1) 本件火災の現場は、周囲が山に囲まれすりばち底のような地形である上に、東側に荘川が流れいわゆる山岳気象の地帯であり且つ火災当日は氷点下五度以下と思われる温度であつた。従つて、火災による高熱の空気と冷却した空気の交流によつて強風が生じ、しかもその強風が山の壁に激突して時折り巻風を生じ、火勢をあおつたのである。このため、本件火災現場における風速は二〇米以上であつた。このことは、火災鎮火後の朝九時頃の風速が三米ないし一〇米であつたこと、火災現場においては前記のように巻風が生じていたこと、延焼熱の上昇の断続により瞬間風速が連続することにより時折り平均風速の三倍以上の風速が瞬間的に生ずること等を総合しても推測できるところである。小坂が本件火災現場の風速を二〇米と判断したのは人智としては最高であり、その判断に誤はない。
(2) 控訴人等の主張するB建物からイ建物までの距離は道路添いの距離である。しかし、消防目的の距離は炎の先と消防対象物との距離を考えるべきである。ル建物とホ建物との距離は約三〇米あつた。この両建物とも延焼し始めていたので、三〇米の距離においてI方面よりD、G各地点方向に吹く強風による火勢の拡がりつつある状況において、小坂が炎の先からイ建物までの距離を二〇米と判断したのである。消防団長の役目としては、炎の先から危険地域の物体の距離を計算し、それによつて処置すべきであるから、小坂の右判断には何の誤もない。
(四) なお、控訴人等は、積雪及び杉木立が防火壁となる旨主張しているが、これは全く空想に過ぎない。
(1) 積雪は屋根を覆つて家をトンネルとするので横の延焼により風洞の形を作り、トンネルの中に火が走る形となり、外部に火炎が出ず加速度的に火が横に走り、火災を加速度的に拡大するものである。従つて、屋根をはぎ火を外部に噴出させて火勢を弱め、同時にそこより注水して消火するのであるが、積雪は屋根をはぐのを妨害し消火を著しく妨害する。積雪が飛火の防止に役立つことは否定しないが、本件破壊は、横に走る火勢防止のため風下の本件家屋に対しなされたものであるから積雪が飛火に対し防火力があるから本件破壊が不法であるとの控訴人等の主張は失当である。
(2) 本件火災現場にあつたと控訴人等が主張する杉木立は、建物の裏にある高さ三米程度の小数の杉樹であつた。このような杉木立は、杉葉に火がつき却て火勢を強めるものである。のみならず、本件の場合は、特に防火活動の妨げとなる位置にあつて消防団は困却したのである。本件の杉木立が防火の役目をするというようなことは全く空想に過ぎない。
(五) 小坂のなした本件破壊行為は、前記によつて明らかなように消防法第二九条第二項に基づく適法な行為であるから、控訴人等の予備的請求も理由のないものであること明らかである。
(六) 仮に、控訴人等主張のように、被控訴人において本件破壊行為につき控訴人等に対し損害賠償又は損失補償の責があるとすれば、控訴人和田は、その所有の別紙第二目録の一記載の建物及び同建物内の動産につき富士火災保険株式会社と保険金額合計金一五〇万円の火災保険契約を締結し、本件火災により保険金一四五万円を受領しているから、同控訴人の損害額より右金員を控除されるべきものである。
五、証拠関係<省略>
理由
一、先ず控訴人等の本位的請求について審按する。
(一) 昭和三三年一月一七日午前五時頃岐阜県大野郡白川村字牧のA建物(旅館「河辺」こと河辺正一方建物)から火災が発生したこと、被控訴人の消防団長小坂林松が、同消防団を指揮し右火災の消防活動につとめ、控訴人等主張のイ、ロ、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ、リ、ヌの各建物に対して破壊消防活動をなし、右各建物(但し、ト建物を除く)を破壊したことは、当事者間に争いがない。
(二) 成立に争いのない乙第一号証の一ないし五、乙第七号証、原審証人羽根潔、同大野正雄、同田村達、同石田良雄、同日下部兼助、同日下部藤右衛門、同森崎春夫、同坂本朝治、同遠山春吉(一部)、同黒田章雄(一部)、同新井喜一郎(一部)、同板谷静夫(一部)、同日下部富男、原審(第一、二回)及び当審証人小坂林松(いずれも一部)の各証言、原審(第一、二回)及び当審における検証の各結果を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 小坂は、昭和三三年一月一七日午前五時一五分頃本件火災の通報を受けて同日午前五時半頃本件火災現場に赴き、団員を指揮し消防活動に従事したが、平瀬分団(被控訴人の消防団は、平瀬分団、南部分団、中部分団、北部分団の四によつて構成されている)の坂本分団長より「南風が強く吹いて燃え拡がる虞があるが、水が全くない」という報告を受けたので、同分団長に対し「水を何とかするよう」に命じた。しかし、しばらくしてからの同分団長よりの報告は、やはり水がないというものであつた。その頃、発火地点であるA建物より北方へ延びた火は、鶴屋旅館(大野重二郎)よりB建物へ移つていつた。B建物は二階建本建築で附近では最も大きい建物であつたから、この炎上により火勢が強くなつたので、小坂は、B建物より北方に連なる建物を破壊して延焼を防止する外ないとして、本件破壊消防を行つたものである。
(2) 小坂が、本件破壊消防を行つた当時における火災現場の火勢、気象の状況、その他周囲の事情は次のとおりであつた。
(イ) 気象状況は、気温氷点下六度位、風は火災発生時南ないし南々西から北ないし北々東の方向へ向けて風速四米ないし六米位の強さで吹き、火災の拡大とともに多少は風速や風向も変つたが、著しく変化はなく、絶えず雪が降りしきり、およそ四〇糎位の積雪があつた。
(ロ) 発火地点であるA建物より周囲に延焼し、A建物から北方へは別紙図面表示の郡上屋から道路に添つて建ち並んでいた同図面表示の田村悟時計店、武田志な丸竹衣料店、瀬戸雷助小山ふとん店、鶴屋旅館の各建物に順次延焼し、更に前記のように同旅館よりB建物に延焼していつたのである。発火地点から周囲への延焼の火勢は、風向及び風速が前記のとおりであつたから、B建物に火が移るまでは、A建物から北方へ延焼する火勢が他の方向へ延焼する火勢に比して強く、そして前記のように、B建物が大きい建物であつたためB建物に火が移つた時は火勢が更に強くなつたのであるが、その頃より火災によつて熱した空気の流動によつて生じた巻風によりB建物より北方へ延焼する火勢は幾分衰え、A建物より西方へ延焼する火勢の方が強くなつていつた。
(ハ) B建物の北方には、道路沿いにル、ト、チ、リ、ヌ、ニ、ハ、ロ、イの各建物が順次隣接して建ち並び、イ建物の北方には御母衣劇場、株式会社大垣共立銀行営業所、ガソリンスタンド二箇所(一箇所はイ建物より約五〇米北に、他はそれより更に五〇米北にあつた)があり、商店住家も稠密であつた。
(ニ) 右ル、ト、チ、リ、ヌ、ニ、ハ、ロ、イの各建物は木造トタン葺屋根のバラツク建家屋で、ベニヤ板壁(但し、原審証人福田博の証言によると、ニ建物は土壁であつたことが認められる)であり、イ建物より更に北方に建ち並ぶ各建物も殆んど右同様の構造のものが多かつた。右のような建物の構造と前記のように本件火災当時相当の積雪があつたことにより、飛火による延焼の虞は殆んどなく、ただ横への延焼の危険が多かつた。
(ホ) ル建物はB建物の北側に僅かの間隔をおいて接続し、ト建物とル建物との隣接間隔は五米あり、ト、チ、リ、ヌの各建物間には殆んど間隙がなく、その距離合計は約三〇米あつた。又ヌ建物とニ建物との間には約四米の道路があり、ニ、ハ、ロ、イの各建物の間には殆んど間隔がなく、その距離合計は約二八米あつた。更にイ建物の北側は約二米位の道路を隔てて人家が建ち並んでいた。
(ヘ) 火がB建物に燃え移る頃、被控訴人の消防団の自動車ポンプ一台、間組及び電源開発のガソリンポンプ各一台の計三台しか火災現場に到着していなかつた。そして、間組のポンプは間組事務所(同事務所は幅員約一〇米の南北に走る道路をはさんでB建物等と相対したところにある)内の消火タンクの水を利用してB建物に注水していたが、その水の出は普通であつた。電源開発のポンプは、やはり右道路をはさんでB建物よりヌ建物までと相対したところにある御母衣旅館(日下部兼助)方の前庭の池の水を利用してB建物に注水していたが、池の水は間もなく渇れ、同旅館の裏にある池より水を移して使うという状態であつたので、ポンプの水の出は必ずしも充分でなかつた。消防団のポンプは、間組事務所内の消火栓が凍つていたためか水の出が悪く、B建物が燃え、B建物よりル建物に火が燃え移ろうとする頃になつて漸く水の出が普通の状態となつた。なおイ建物の北側の道路に添つて用水路があつたが、この用水路は西側の山の中腹に水量調節のコツクがとりつけてあり、消防団の一員である石田良雄は消火用に利用するため用水路に水を流すよう右コツクを操作したが、その操作が不十分であつたのと積雪のため等から導水路から水が溢れ出て周囲の田へ溜まり、用水路の方へは水が流れて来たのは鎮火近い頃であつた。又本件火災現場の東方を流れる荘川は水面が低く、橋の上からでは消防ポンプの吸水管の先が水面に届かなかつた。
(3) 小坂は、前記のような事情の下で、B建物より北方への延焼を防止するためには、破壊消防による外に消防の方法がないものと判断するに至つた。しかし当時消火に従事する団員が手不足で且つ破壊器具の準備も充分でなかつたので、小坂は火災現場附近の御母衣ダム建築工事に携つていた間組にブルトーザー一台の出動を依頼し、右ブルトーザーによつて、先ずB建物の北隣のル建物を破壊しようとしたが、とき既に同建物の裏側に火が廻つていたため危険を感じてこれを諦め、更に北の方にある建物を破壊することにしたが、その際ガソリンスタンドに延焼した場合における災害の拡大を虞れ、たまたまイ建物が空屋であり直ちに破壊できる事情にあつたことから、イ建物より南の方に向つて建物を破壊すれば、イ建物より北方への延焼の防止ができるとして一挙にイ建物まで後退しイ建物より破壊するようブルトーザーの操縦者(間組の従業員)に命じた。右により操縦者は直ちにイ建物より破壊を初め、炎上現場へ向つて南方にロ、ハ、ニ、ヌ、リ、チ、トの順で各建物をわずか三分位宛で破壊し終つた。又破壊の方法は、建物をブルトーザーで押し倒し、これを押し潰した上、後(西)方(右各建物は道路に添つて一列に建ち並んでいたもので、その後方は相当の空地となつていた)へ押しやるという方法で行われたので、破壊された建物の跡は空地同然となつた。
(4) しかしB建物より北方への延燃は、ル建物とト、チ各建物の一部にとどまつた。
(5) 御母衣旅館は、B建物より東方わずかに約三〇米(但し幅員一〇米の道路を含む)離れたところにあつたが、B建物が炎上した時も延焼の危険はほとんどなかつた。
原審証人遠山春吉、同黒田章雄、同新井喜一郎、同板谷静夫、原審(第一、二回)及び当審証人小坂林松の各証言中右に反する部分並びに原審(第一、二回)及び当審(第一回)における控訴本人中切幸太郎の尋問の結果中右に反する部分は採用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。
(三) ところで、わが憲法第二九条は、財産権の不可侵の原則を宣明するとともに財産権の内容については、公共の福祉に適合するよう法律で定めることとし、正当な補償の下にのみこれを公共のために用いることができるものとしている。消防法第二九条は、まさに憲法の右規定をうけて、火災における消防活動については、延焼の防止等のために緊急の必要があるときは、いわゆる火元以外の家屋でもその破壊等の処分が許されるが、これによる損失は補償されねばならぬ旨定め(同条第三項)、ただ火勢その他の周囲の事情から合理的に判断して延焼防止のため家屋の破壊等がやむをえない場合に限り、損失補償を要しないものとしている(同条第二項)。すなわち、損失補償の下に許される破壊消防は、火災における延焼防止のための緊急性をもつて足るが、無補償による破壊消防は延焼防止のための唯一の手段たる意味における不可避性を必要とし、しかもそれが火勢その他あらゆる周囲の事情を加味した事後の冷静にして厳密な「合理的判断」からも是認される場合に限られるものと解しなければならない。かく解することによつてのみ始めて右規定の適憲性を肯定しうるであろう。
(四) そこで、本件について考察するに、火がB建物に移りB建物が炎上した当時の火災現場の火勢、気象の状況その他前認定のような周囲の事情殊に前記ガソリンスタンドへの延焼防止が焦眉の急であつたことから判断して、B建物より北に連なる建物への延焼を防止するためこれら建物の一部を破壊するいわゆる破壊消防の挙にでる緊急の必要があたことが認められる。しかしながら、(1) 前記のようにB建物の東方約三〇米の距離にあつた御母衣旅館ではほとんど延焼の危険がなかつたこと、(2) 風は前記のように南ないし南々西から北ないし北々東へ向けたものであつたが、風速四米ないし六米位の弱いものであつたこと、(3) ト建物とル建物との隣接間隔は五米あり、ト、チ、リ、ヌの各建物はほとんど間隙なく接続していたが、ト建物とヌ建物間の距離は約三〇米あつたこと、(4) バラツク建構造の右各建物をブルトーザーで破壊するには前記のように一棟につき三分位しか要しなかつたことその他前記認定のような火勢などあらゆる周囲の事情から考えてみると、B建物よりその北方の建物への延焼を防止するためには、ル、ト、チ、リの各建物を破壊すれば足りたものと思われ、イ建物より一挙にロ、ハ、ニ、ヌ、リ、チ、トまでの建物を順次破壊するより外に方法がなかつたものとはとうてい断じ難い。してみると、本件ロ、ニ、ヌの各建物の破壊は、合理的に判断して右延焼を防止するための前記のような意味における不可避性に欠くるものがあり、消防法第二九条第二項の「延焼防止のためやむを得ない」場合に該当しないものといわなければならない。
そうすると、ロ、ニ、ヌ建物の破壊は、消防法第二九条第二項にこそ該当しないが、同条第三項によつてなお適法な行為であるといわなければならず(もつとも控訴人等は、ブルトーザーで破壊することは消防法上許されないと主張するが、もとより独自の見解で採るに足りない)控訴人等三名の本位的請求は爾余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。
二、次に、控訴人等の予備的請求について判断する。
(一) 前記によれば、ロ、ニ、ヌの各建物の破壊については、消防団長である小坂が延焼の防止のため緊急の必要からなしたものであり、右のような破壊消防活動によつて控訴人等が蒙つた損害については、被控訴人において消防法第二九条第三、第四項により同控訴人等に補償すべき義務があるものといわなければならない。
(二) そこで控訴人等の損害について判断する。
(1) 当審における控訴本人中切の尋問の結果(第二回)により成立が認められる甲第二号証の一、原審証人大倉由松、同蒲透の各証言、原審(第一回)及び当審(第二回)における控訴本人中切の尋問の各結果並びに弁論の全趣旨によると、ヌ建物(別紙第一目録記載)は控訴人中切の所有であつたこと、同建物(但し冷蔵庫の部分を除く)は昭和三一年一一月頃建築されたものであり、右冷蔵庫の部分は昭和三二年頃築造されたものであるが、控訴人中切においてはいずれも一〇年位を使用可能期間と考えていたこと、同建物が破壊された当時これを新築すると金二四五万円余(冷蔵庫の部分一四〇万円余、冷蔵庫を除いた他の部分一〇四万円余)を要することが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。右事実によると、同建物が破壊された当時の同建物の価額は少くとも金二二〇万円(前記新築費より約一割の減損価額)であつたと推認され、控訴人中切において右破壊により同額の損害を蒙つたことが認められる。
(2) 原審証人正者鶴之助の証言によつて成立が認められる甲第八号証の一、同証言、原審及び当審(第二回)における控訴本人和田の尋問の各結果並びに弁論の全趣旨によると、ロ建物(別紙第二目録の一記載)は、控訴人和田の所有で、昭和三二年四月頃建築されたバラツク建の建物であること、同建物が破壊された当時同建物を新築すると、金五七万円を要すること、本件火災当時ロ建物内には同控訴人所有の別紙第二目録の二記載の営業用什器備品、同目録の三記載の家財道具が存在したところ、ロ建物が破壊される際右営業用什器備品、家財道具も破壊ないし無価値のものとされたこと、本件火災当時右営業用什器備品の価額は少くとも金三五万三〇九〇円、右家財道具の価額は少くとも金一四万七、八〇〇円であつたことが認められ、叙上認定を左右するに足る証拠はない。同控訴人は、本件火災当時ロ建物内には別紙第二目録の四記載の商品が存在したと主張し原審及び当審(第二回)における同控訴本人の尋問の各結果中には、右に添う部分があるが、同控訴人は、商品の明細については、原審における同控訴本人の尋問では大取引先の納品書を見せて貰つて確認したと述べているのに対し、当審(第二回)における同控訴本人の尋問では同控訴人方の商品台張に基づいて確認したように述べているなどその供述内容きわめてあいまいであるので、前記部分はたやすく採用できず、他に同控訴人の右主張事実を認めうる証拠はない。右によると控訴人和田は、ロ建物の破壊により合計金一〇七万八、九〇〇円の損害を蒙つたことが認められる。そこで、控訴人和田が受領した火災保険金は同控訴人の右損害より控除されるべきものであるとの被控訴人の主張について審按する。控訴人和田が、ロ建物及びその中にあつた動産につき富士火災保険株式会社と火災保険契約を締結し、本件火災によるロ建物及び右動産の損壊に対し火災保険金を受領したことは、同控訴人の認めるところである。このことと当審における同控訴本人尋問の結果(第二回)によると、同控訴人が受領した右火災保険金は金九二万円であつたことが認められる。右尋問の結果中右に反する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。ところでロ建物及びその中にあつた動産の損壊は、前記のとおり小坂によつてなされたものであるから、右損壊による損害は、商法第六六二条第一項にいわゆる第三者の行為に因つて生じたものといわなければならず、同条によつて前記保険会社は、控訴人和田が消防法第二九条第三、第四項に基づき被控訴人に対し有する右損害金一〇七万八、九〇〇円についての補償請求権のうち金九二万円についての権利を取得したものというべきである。従つて、控訴人和田は、右金一〇七万八、九〇〇円より右金九二万円を控除した差額金一五万八、九〇〇円について被控訴人に補償請求をなしうるに過ぎないものである。
(3) 成立に争いのない甲第七号証の一、三三、三五、原審証人福田博の証言及び弁論の全趣旨によると、ニ建物は岐阜県大野郡白川村牧字中川原一二六番一五所在木造トタン葺二階建住家、店舗、倉庫一棟建坪五二坪余で控訴人東洋ゴムの所有であつたこと、同建物が破壊された当時の同建物の価額は少くとも金六〇万円であり、控訴人東洋ゴムにおいて右建物の破壊により同額の損害を蒙つたことが認められる。同控訴人は、右破壊の際別紙第三目録二記載の備品も破壊されたと主張するが、右事実を認めるに足る的確な証拠はない。
(三) 右のとおりであるから、被控訴人は、控訴人中切に対し金二二〇万円、控訴人和田に対し金一五万八、九〇〇円、控訴人東洋ゴムに対し金六〇万円、並びに各控訴人に対する遅延損害金として、右各金員に対する控訴人等の訴状が被控訴人に送達された日の翌日であること本件記録上明らかな控訴人東洋ゴムについては昭和三三年八月二六日より、その余の控訴人両名については昭和三四年二月一五日よりいずれも完済に至るまで民法所定の年五分の割合による金員を支払うべき義務があり、控訴人三名の予備的請求は右の限度で正当として認容すべく、右限度を超える部分は失当として棄却すべきである。
三、以上の次第ゆえ、右と異る原判決中控訴人等三名に関する部分はこれを取り消し、控訴人等三名の予備的請求を一部認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九三条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 成田薫 布谷憲治 黒木美朝)
図<省略>